日産の季節工(1971.2)

日産の期間工をやった、平塚の日産車体という会社であった、集められた
期間工はそれぞれ寮に入れられた。わたしの入れられた寮は一般の崩れ
かけた木造アパートの6畳一間である、そこへ一室に4人も詰め込まれた
のである。
そして職場はいきなり夜勤からスタート、夜の10時から朝6時まである。
夜勤など未経験(えりもで経験してはいるが、ほぼ睡眠夜勤であった)で
夜中に昼間と同じ量の仕事をするなんて想像もつかなかった、配属された
職場は車体の型枠組みである、ラインのスタート地点と一番厳しい作業の
場所を受け持たされたのである。分刻みで動いているラインへ自分が車体
の鉄板を型枠の中へ組み込み、あとのラインのものが、それぞれスポット
溶接をしていくのである。
中食時間以外は止まることをしないラインに振り回され、朝方の日の出頃
には睡魔が襲いフラフラの状態になるのである。やっと勤務時間が終了し
て壊れかけたアパートへ戻ると6畳一間で4人である、お互いのいびきで
眠れる状況では無い、一週間目にはもう生きているのがやっとの思いで、
これでは殺されると逃げ出してきたのである。
正社員と季節工との差は天国と地獄であった、季節工などは人間としての
扱いはさらさら考えていないようであった。
その日産が今日のようになったことには、深くうなずけるのである。

季節工と期間工
 元々は農家の閑な季節に出稼ぎとして採用していたのが始まりのようで、
 「季節工」と言っていた。いつの間にか新聞の募集などは「期間工」となっ
 ている。



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