航空自衛隊第36警戒群えりも駐屯地(1969.11〜1970.8)

 11月も末の15:00上野発急行青森行き「みちのく」、この列車に乗り一路青森へ、椅子は垂直である。
大宮、福島、仙台を過ぎるころには客もまばらになり、椅子に横になれる状態であった、それでも身長
のある自分としては足を通路側に出して横になる。
24:00ちょうど青森駅へ到着、着いた途端にいきなり運動会が始まる、唖然としている間にも皆、100m
競争並に走っていく、そんなに急いで改札に向かってどうするんだろうと思っていたら、どうも向かって
いる先が違うようだ・・連絡船「十和田丸」へ向かっているのだと気が付いた時には手遅れ、二等船室
の良い場所はもう確保されて座る場所が無い、仕方が無いので椅子席へと向かう、これから深夜の4
時間の間、横にもなれず椅子に座っていなければならないのかと運動会へ参加しなかった自分が腹
立たしくなる。
そんなことを考えながら津軽海峡を渡る、未踏の地、北海道が刻一刻と近づいて来る、なぜか心が躍る。
そして待ちに待った函館に到着「うん、内地よりしばれる」といきなり北の言葉が出てのであった。朝の
4時である。これからまだ12時間以上も旅を続けなければならない。
自分で希望したとはいえ、こりゃとんでもないところまで来てしまったというのが素直な感想でいある。
列車を乗り継いで着いたところが日高本線終着駅様似駅、そこから国鉄バスで襟裳町まで、もう日が
沈んでいる。
海岸沿いに波しぶきを受けながらバスは向かう、襟裳へ着いた時には漆黒の暗闇に包まれていた、ま
たそこから部隊のトラックで基地へ向かう、襟裳岬のちょうど中間地に所在する航空自衛隊襟裳駐屯地
である。
上野を出発してから延べ30時間近くは掛かっただろうか、地の果てまで来てしまったというのが実感で
あった。
基地での業務は無線整備である、多重無線と言って電話回線用無線機器と航空機と地上管制との機
器、それと基地間通信の短波無線機の整備である。この基地間通信機器は短波を利用するので朝晩、
送信周波数を変更するのであるが、そのため高周波コイルを手作業で交換するのである。なにしろ米軍
が朝鮮戦争当時使っていた代物である、3000Vの電圧が掛かっているところであるが電源を落とさずに
交換するので、一度だけ感電し指先が黒く焼けてしまったことがある。
まあそんなこともあったが、ほとんど毎日毎日掃除機と刷毛を持って無線機の掃除が仕事であった。当
時アマチュア無線の免許も持っていたので、自衛隊の設備、技術の遅れに夢も希望もだんだんと薄れて
行くのであった。

 山の無線基地にて  野外訓練にて

そんなおり、たまたま読んだ「朝日ジャーナル」に感化されてだんだんと反戦思想に取り込まれていったの
である。ドストエフスキーの「罪と罰」、ヘルマン・ヘッセ「知と愛」などをむさぼり読んだのが影響してか人生
観がすっかり変わり、3年満期の中途で兵隊さんを辞めることになったのである。


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